前回のごあいさつで、実業団チームの監督を7年間務めたと書きました。今回は、そもそもどうやって監督になったのか、その経緯を書こうと思います。
きれいな話ではありません。むしろ、一度は却下されたところから始まっています。そして結果的には、その却下が7年間の始まりになりました。
選手として最後の年に、その話は来た
当時、チームは不安定な状況にありました。監督を務められていた方が退任されることになり、次の体制が決まっていなかったからです。
そして私自身も、その年を選手として最後の年にすると決めていました。ちょうど、自分の区切りとチームの区切りが重なったタイミングでした。
そんなときに、当時の副部長から声をかけていただきました。監督を引き受けてほしい、と。
人をまとめた経験は、正直ありませんでした
打診を受けて最初に思ったのは、「自分には無理だ」でした。
私はそれまで、キャプテンのような役割を経験したことがありません。人をまとめてきた実績が、本当に何もないのです。強いて挙げるなら、米元家の長男として妹をまとめてきたくらいでしょうか(笑)。
その程度の経験値で、実業団チームの監督が務まるとは到底思えませんでした。
ただ、それでも断るつもりは最初からありませんでした。
チームが困っている、その状況で自分に声をかけていただいた。これはとても光栄なことです。力になりたい、チームに貢献したい。その気持ちのほうが、不安よりも大きかった。
だから、お引き受けしますとお返事をしました。
ところが、オーナーから却下される
ここで状況が一変します。
副部長からは打診をいただいていたのですが、当時のオーナーからは「若すぎる」という理由で却下という回答が返ってきたのです。
つまり、幹部の中で話がまとまっていない段階での打診だった。正直に言えば、二転三転して振り回された感覚はありました。
ただ、少し時間を置いて考えたときに、見方が変わりました。
これは、オーナーに対して自分の監督としての資質をアピールできるチャンスなのではないか、と。
却下の理由を、ひとつずつ潰していく
オーナーが私を認めなかった理由は、大きく二つでした。
ひとつは、マネジメント経験がないこと。もうひとつは、当時30歳という年齢に対する不安です。
さらに聞こえてきたのは、オーナーは他チームの指導者や、実績のある部外の方を招聘することも選択肢として考えているらしい、ということでした。
そこで私は、オーナーに向けたプレゼン資料をつくることにしました。「私が監督としてふさわしい人材である」と伝えるための資料です。
まず取りかかったのは、年齢に対する不安を払拭することでした。
当時のS/Jリーグ(日本のバドミントン実業団トップリーグ)を調べてみると、私より1歳上の監督と、1歳下の監督がいました。たしかにボリュームゾーンは30代後半から40代です。けれど、30歳の監督がいないわけではない。
そこから、当時のリーグの監督が何歳から監督を務めているのか、それぞれどのような経歴と実績を歩んできたのかを一覧にまとめました。年齢は決定的な障害ではない、ということをデータで示すためです。
暫定ながら、承認をもらえた
そして迎えたオーナーとのミーティング。
用意した資料をもとにプレゼンをして、暫定という条件つきではあるものの、監督としての承認をいただくことができました。
これは後から聞いた話ですが、当時のオーナーは私を試していたそうです。
最初から任せるつもりではあった。ただ、本気でチームの推進役を務める覚悟があるのかどうかを見ていた、と。
いかにもあの方らしい、人心掌握の仕方であり、やる気スイッチの押し方だと感じました。悔しさよりも、納得のほうが大きかったのを覚えています。
求められている、と実感した日
選手としてはひと段落を迎えるタイミングでした。
けれど同じ日に、監督として改めてチームに求められているのだと実感することにもなりました。そしてこれから待っているであろう困難に、立ち向かう覚悟を決めた日でもありました。
ここから7年間が始まります。もちろん、順風満帆とはいきませんでした。
その中身については、また少しずつ書いていこうと思います。最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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